キャバレー ハリウッド – 一代で帝国を築いた福富太郎の夢

『キャバレー ハリウッド』は、かつてキャバレー王と呼ばれた福富太郎氏が興した昭和の大人の社交場です。

最盛期には全国44店舗を構える一大チェーンでしたが、時代の波には勝てず、2018年一杯で最後の店舗が閉店しました。

キャバレーハリウッドのサイン
ハリウッドとかロンドンとか地名が多かった?

キャバレーハリウッドとは

そもそもキャバレーとは

もとはフランス語で、ダンスやコメディなどのパフォーマンスが楽しめるレストランやナイトクラブのことです。

起源は19世紀後半と言われており、有名なのはパリのモンマルトル界隈に開設された「ル・シャ・ノワール(黒猫)」。

若き日のパブロ・ピカソやエリック・サティら、名だたる芸術家たちのたまり場になっていたそうです。

ニッポンのキャバレー

日本のキャバレーはすでに絶滅してしまった状態ですが、最盛期だった昭和30~40年代のイメージといえば、小金持ちの脂ぎったオジサンが若いお姉さんに囲まれて猥談かます場所、的な、あまり品の良いものではありませんでした。

テレビのコメディなどで、よく呂律のまわらない声で「チャバレーいこ、チャバレー」などというシーンが良くありましたね。

すっかり出来上がってしまったオッサンたちが千鳥足で二軒目三軒目に目指して流れていく場所、というポジションでもあったようです。

ショービジネスの舞台でもあった

管理人的にはそんなお色気路線の記憶しかないのですが、日本における起源は終戦後、進駐軍への接待の場として開設された「特殊慰安施設」というものでした。

洋服で着飾ったホステスがダンスのお相手をする、というスタイル。初めからお色気路線だったわけではないのですね。

復興で徐々に娯楽にお金が回るのようになった日本のオジサンたちにも門戸が開放され、大いに流行します。

なかでもホステスを100名以上抱え、大ホールで生バンドの演奏付きという豪華絢爛たるエンタメ・スペースに発展した店舗は「グランド・キャバレー」と呼ばれました。

キャバレーを足掛かりに、歌手や芸人として本格デビューを果たすパターンもありました。

キャバレー太郎

のちに「キャバレー太郎」と称されるようになったのが「キャバレー・ハリウッド」創始者の福富太郎(本名は中村勇志智)。

グランドキャバレー ハリウッド
ホステスさんのイラストは変遷あったのでしょうか?

福富は一介のボーイから立身出世し、1960年に「新橋ハリウッド」を独立開業します。

日本の行動成長の波にも乗り、渋谷、横浜、池袋と主要な繁華街に続々と展開。

1964年にはついに日本の歓楽街の頂点、銀座に進出を果たしました。

その店舗は5階建てのビルを丸々使い、床面積なんと1,000坪。抱えるホステスは800人以上という超巨大なものでした。

オイルショックが分岐点

キャバレー・ハリウッドは最盛期に44店舗を構える大チェーンとなり、キャバレー太郎はまさにこの世の春を謳歌していました。転機が訪れたのは1971年のドルショック、そして1973年のオイルショックでした。

高度成長期の終えんと同期するように業界全体が退潮を迎え、追い打ちをかけるようにディスコやキャバクラなど新手の業態に客を奪われていきました。

ハリウッド北千住店の入り口
キャバレー王国最後の砦、ハリウッド北千住店

この写真は2018年12月に閉店した北千住店のものです。同じタイミングで閉店した赤羽店とともに、福富太郎が築いたキャバレー王国有終の美を飾ったのでした。

管理人のつぶやき

キャバレーと聞いて連想するのは、実は「ハリウッド」ではなく「ロンドン」です。

「愉快なロンドン楽しいロンドン、ロンドン、ロンドーン!」というあのTVCFのせいです。

キャバレーがどんな所かも知らなかった子どもが耳にして、還暦になってもハッキリ覚えているんですから。CMソングがいかに重要か、よーく分かりますね。

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