80年代の音楽シーンにおいて、個性的なビジュアルとキャッチーなメロディーで世界的な成功を収めたバンド「カルチャークラブ(Culture Club)」。ボーイ・ジョージを筆頭に、ポップとレゲエ、ソウルを融合させた独自の音楽性で多くのヒット曲を生み出し、幅広い層の音楽ファンを魅了しました。
目次
カルチャー・クラブ/Culture Clubとは

バンド結成の背景
カルチャークラブの誕生は、1980年代初頭のロンドンの音楽シーンにおける変革期と密接に関わっています。当時のロンドンでは、パンクロックの衰退とともに、ニュー・ウェーブやポストパンク、レゲエやソウルといった多様な音楽ジャンルが混ざり合う時代が到来していました。
ボーイ・ジョージは、パンクバンド「バウ・ワウ・ワウ(Bow Wow Wow)」の一時的なゲストボーカリストとして注目を集めていましたが、自身のバンドを結成したいという強い思いを持っていました。そこで、彼はロンドンの音楽シーンで知り合ったミュージシャンたちと意気投合し、バンド結成に向けて動き始めたのです。
ベーシストのマイキー・クレイグはジャマイカ系のルーツを持ち、レゲエやR&Bの影響を受けたサウンドを好んでいました。一方、ギタリストのロイ・ヘイはロックとファンクを融合させた演奏スタイルを持ち、ドラマーのジョン・モスはパンクロックやニュー・ウェーブの経験を積んでいました。このように、異なる音楽的バックグラウンドを持つ4人が集まったことが、カルチャー・クラブのユニークなサウンドの礎を築くこととなりました。
バンド名「Culture Club」は、メンバーの多様な文化的背景と音楽スタイルが融合していることを象徴しています。彼らの音楽は、ポップとレゲエ、ソウル、ロック、ファンクといったジャンルを自由に横断し、当時の音楽シーンに新風を吹き込みました。
代表的なヒット曲
カルチャークラブは数多くのヒット曲を生み出してきましたが、その中でも特に有名な楽曲を紹介します。
Do You Really Want to Hurt Me (1982年)
カルチャー・クラブの名を世界に知らしめた代表曲であり、メロディアスなレゲエ調のサウンドと切ない歌詞が特徴。ボーイ・ジョージの独特の歌声が楽曲に深みを与え、全英シングルチャートで1位を獲得しました。
Karma Chameleon (1983年)
1983年にリリースされた2ndアルバム『Colour by Numbers』からのシングルで、バンド最大のヒット曲。アップテンポなリズムとキャッチーなメロディーが印象的で、全英・全米ともに1位を獲得し、カルチャークラブの代表曲となりました。
Time (Clock of the Heart) (1982年)
美しいメロディーとボーイ・ジョージの感情豊かな歌声が魅力のバラード曲。シンプルながらも切ない歌詞が多くのリスナーの心を打ちました。
Church of the Poison Mind (1983年)
ゴスペルの要素を取り入れた力強い楽曲で、コーラス部分のハーモニーが印象的。80年代ポップの代表的なサウンドの一つとして、現在でも多くのファンに愛されています。
Victims (1983年)
ドラマチックなピアノバラードで、ボーイ・ジョージの切ない歌声が際立つ一曲。商業的成功よりもアーティスティックな側面が高く評価されました。
ダイバーシティを先取り
カルチャー・クラブの大きな特徴の一つは、音楽だけでなくビジュアルやメンバー構成においてもダイバーシティ(多様性)を先取りしていたことでしょう。ボーイ・ジョージのジェンダーレスなファッションと中性的なパーソナリティは、当時としては革新的であり、今でいうLGBTQ+コミュニティにとっても象徴的な存在となりました。
また、バンドのメンバーも異なるルーツを持っていました。例えば、ベーシストのマイキー・クレイグはジャマイカ系のバックグラウンドを持ち、カルチャークラブの音楽にレゲエの要素を取り入れることに貢献しました。こうした多様な文化的背景を持つメンバーが集まったことで、バンドのサウンドは一層ユニークなものとなり、世界中のリスナーに受け入れられる要因となったのです。
バンドの解散と再結成
1980年代半ばには、ボーイ・ジョージとドラマーのジョン・モスの間の確執や、ボーイ・ジョージの薬物問題が表面化し、バンドは次第に活動の停滞を迎えます。1986年にアルバム『From Luxury to Heartache』をリリースするも、商業的には以前ほどの成功を収めることができず、1986年にバンドは解散。
その後、1990年代には再結成し、1999年には新作アルバム『Don’t Mind If I Do』をリリース。シングル「I Just Wanna Be Loved」はイギリスのチャートでトップ5に入るヒットを記録し、再び注目を集めました。
最近の活動
カルチャー・クラブは2010年代以降も断続的に活動を続けており、2018年にはアルバム『Life』をリリース。ボーイ・ジョージはソロ活動やDJとしてのキャリアも積みながら、バンドと並行して活躍しています。
カルチャー・クラブの音楽は、80年代のノスタルジーとしてだけでなく、ポップ、ソウル、レゲエの要素を融合させた独自のサウンドとして、現在でも多くのアーティストに影響を与え続けています。特に、ボーイ・ジョージの個性的なビジュアルとスタイルは、後のアーティストたちにとってもインスピレーションの源となっているといえましょう。
管理人のつぶやき
カルチャー・クラブが登場した80年初頭は第2次ブリティッシュ・インベイジョンが盛り上がっていた時代で、ミュージックビデオの隆盛もあってサウンドだけでなくビジュアルにこだわったバンドが輩出されましたね。
カルチャー・クラブ以外では「デュラン・デュラン」、「ヒューマン・リーグ」、「ワム!(びっくりマーク必須でw)」、「ユーリズミックス」、「スパンダー・バレエ」なんかをよく目にしました。「ポリス」や「ティアーズ・フォー・フィアーズ」もこの時期でしたっけ。
当時は多様性が今日のようには市民権を得ていませんでしたが、ゲイとかバイセクシャルをカミングアウトしている大物アーティストもいました。クイーンのフレディ・マーキュリーとかデビッド・ボウイは有名ですね。ボーイ・ジョージはビジュアルがぶっとんでいるのが彼らとは違うところで、ちょっとキワモノ的な感じを持っていましたけど、まさに時代を先取りしていたんですね。