今日では軽自動車の大手メーカーとして知られるダイハツが、かつてオート三輪から四輪車メーカーに飛躍を遂げるべく開発した、まるでイタリア車のような小型自動車。ラダーフレーム構造を活かし、セダンからピックアップトラックまで幅広い車種展開を行いました。
コンパーノとは
オート三輪メーカーからの脱皮
オート三輪とは文字通りエンジンを積んだ三輪車で、荷台を持った貨物自動車のことをそう呼びます。日本では戦前から零細を含めた多くのメーカーがひしめき合っていましたが、ダイハツは東洋工業(のちのマツダ)と並ぶオート三輪のトップメーカーでした。
力のあるメーカーは「いずれは四輪車を」という野心を抱いており、もちろんダイハツもその方向に進む決心をします。コンパーノはダイハツがオート三輪から脱却し四輪車メーカーへの飛躍を遂げるという重責を背負った戦略的なモデルだったわけです。
名前もデザインもイタリアン
コンパーノのプロトタイプは1961年の第8回全日本自動車ショウに出展されましたが、デザインがイマイチということでパッとしませんでした。
そこで、当時他のメーカーでも行われていた海外デザイナーに委嘱する作戦に出ます。ダイハツが白羽の矢を立てたのはイタリアのカロッツェリア、ヴィニャーレ。
ヴィニャーレは自動車メーカーではなく、クルマのボディをデザイン・架装するいわゆるコーチビルダーで、ランチア、アルファロメオ、マセラッティなどイタリアの名だたる高級車メーカーを顧客としていました。
そんな名門カロッツェリアが手掛けたデザインですから、悪かろうはずがありません。インテリアも3本スポークのステアリングにウッドを奢ったダッシュボードなど洒落たイタリアン・エッセンスを注入。さらに『コンパーノ』という車名も「仲間」を意味するイタリア語。
こうして名実ともにイタリアンなコンパーノが誕生しました。
幅広い車種展開
コンパーノの第一弾は1963年に発売されたライトバンでした。商用車のバンタイプが優先されたのは当時のニーズを反映したものでしょう。次いでバンに乗用車の要素を加えたワゴンが登場します。
セダンはその後で、これは『コンパーノ・ベルリーナ』と命名されました。ベルリーナもイタリア語で、ここでもイタリア風味を徹底していますね。
1965年には排気量を998ccに拡大したエンジンを積んだ2シーターコンバーチブルの『コンパーノ・スパイダー』が登場します。
この後、さらにピックアップトラックの『コンパーノ・トラック』が発売されるなど、コンパーノシリーズはあらゆるボディに対応したフルラインアップが完成します。
ダイハツがコンパーノに社運を賭けていたことが伺われますね。
ラダーフレーム構造
このようなボディ・バリエーションが実現できたのは、ラダーフレーム式構造だったおかげです。
フレーム構造では上物のボディを乗せ換えるだけで様々な車種をつくることができる反面、軽量化しにくいというデメリットがあります。そのため、トレンド的にはボディそのもので応力を受け止める「モノコック構造」が主流になりつつありました。つまりフレーム式は時代遅れになりつつあったわけです。
ダイハツは幅広い車種展開を見据えて、あえてモノコックではなくラダーフレーム構造を採用したわけです。
後継車はコンソルテ
かように意欲的なコンパーノを世に送り出したダイハツでしたが、自動車メーカーとして独り立ちしていくには体力に限界があり、トヨタとの業務提携を選ぶことになります。
業務提携によるクルマの第一弾となったのが、コンパーノの後継にあたる『コンソルテ』。コンパーノ譲りのイタリア語ネームで、意味は「伴侶」。ユーザーの良き伴侶という意味に加えて、ダイハツとトヨタの合作であった含みも持たせたネーミングでした。
コンソルテはトヨタのパブリカがベースとなっていますが、モノコック構造であったためにコンパーノのような多様な車種展開は困難で、クローズドボディのセダンとクーペのみとなりました。
データ
- 販売期間:1963年(昭和38年)~1970年(昭和45年)
- エンジン:直4OHV 800cc/1,000cc
- ホイールベース:2,220mm
- 全長:3,800mm
- 全幅:1,425mm
- 全高:1,430mm
- 重量:765Kg
管理人のつぶやき
コンパーノは管理人のリアルタイムな思い出がありませんが、生まれが同じ1963年なんですね。記事を書いていてとても親近感がわきました。
軽自動車以外のダイハツのクルマで思い出すのは『シャレード』です。
1Lエンジンを積んだいわゆる「リッターカー」のヒット作。パッケージングにも工夫を凝らし、「5平米カー」という打ち出しをしていました。
CMには女優のセーラ・ローウェルを起用。「Yes, Charade!」って言ってました。
ちなみに車名のシャレード(charade)はフランス語で「謎解き」。いったいどんな謎をかけていたんでしょうか?