昭和30~40年代の街並みを懐古するシーンに必ずといっていいほど登場するクルマ、それがダイハツ・ミゼットです。映画やドラマでは八百屋さんや酒屋さんの前に停まっている姿が定番。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の印象で覚えている人も多いでしょう。
ダイハツ ミゼットとは

小さなお店の頼れる相棒
ミゼットが登場したのは1957年(昭和32年)です。当時の日本は戦後復興の真っただ中。町には個人商店があふれ、毎日たくさんの商品が運ばれていました。とはいえ、大きなトラックは高価ですし、狭い路地には入りにくいという問題もありました。
そこでダイハツが考えたのが、「もっと小さくて安くて使いやすい運搬車」でした。ミゼットは軽オート三輪というカテゴリーのクルマで、車体が小さく小回りが抜群。商店街の細い道でもスイスイ走ることができました。
八百屋さん、米屋さん、酒屋さん、電気屋さんなど、さまざまな商売で活躍し、日本中の町を走り回っていたのです。
最初はほとんどバイクだった
ミゼットとしてよく知られているのは丸いハンドルの小ぶりな三輪自動車ですが、最初のモデルはかなり違いました。ハンドルはバイクと同じバータイプで、一人乗り。見た目も「荷台付きの大型スクーター」といった雰囲気でした。屋根は幌で、ドアもありません。

現在の宅配バイクを見ていると、「もしかするとミゼットの子孫かも」と思ってしまうほどです。それでも荷物を運ぶ能力は十分で、多くの事業者から歓迎されました。

「町のヘリコプター」という名キャッチコピー
ミゼットが大ヒットした理由のひとつに、宣伝の上手さがあります。
ダイハツは当時としては珍しくテレビCMに力を入れました。有名だったのが「町のヘリコプター」というキャッチコピーです。狭い路地でも自由自在に走れる機動力を、ヘリコプターになぞらえたわけですね。さらに人気タレントだった大村崑さんを起用したCMも話題になりました。
今でこそテレビCMは当たり前ですが、当時はまだテレビそのものが新しい時代。ミゼットは広告戦略でも時代の先端を走っていたのです。
クルマらしくなった丸ハンドルミゼット
1959年になると、ミゼットは大きく進化します。このモデルから丸いステアリングホイールが採用され、助手席も追加されました。いわゆる「丸ハンドルミゼット」です。

現在イベントや旧車展示会でよく見かけるのも、このタイプがほとんどでしょう。丸みを帯びたボディに愛嬌のある顔つきは、今見ても実に魅力的です。
小さいのにどこか頼もしく、働き者らしい雰囲気があります。昭和の街並みの写真に写っていると、それだけで時代の空気が伝わってくるような気がします。

海を渡ってタイでも活躍
ミゼットは海外にも輸出されました。特に有名なのがタイです。現在でもバンコクなどで見かける三輪タクシー「トゥクトゥク」は、ミゼットの流れをくむ存在として知られています。
もちろん現在の車両は大きく進化していますが、「小さくて便利な三輪車」という考え方は共通しています。日本の小さな働くクルマが、遠く離れた国の交通文化にも影響を与えたと思うと面白いですね。
四輪の時代へ
1960年代後半になると、自動車の世界は三輪から四輪へ移っていきます。道路事情が改善され、軽トラックも進化していきました。
そして1972年、ミゼットは生産を終えます。後を継いだのは同じダイハツのハイゼットでした。しかしミゼットが残した存在感は非常に大きく、今でも「昭和の働くクルマ」と聞けば真っ先に名前が挙がるほどです。
商店街を走り回り、日本の復興と高度経済成長を足元から支えた小さなオート三輪。ミゼットは単なる旧車ではなく、昭和という時代そのものを象徴する一台なのかもしれません。

データ
- 販売期間:1959年(昭和34年)~1972年(昭和47年) ※データはMP型
- エンジン:空冷2ストローク単気筒 305cc
- ホイールベース:1,905mm
- 全長:2,970mm
- 全幅:1,295mm
- 全高:1,455mm
- 重量:415kg
管理人のつぶやき
全国各地で開催される旧車イベントには、今でもよく手入れされた古の名車や珍車そして凡車(失礼!)が大集合します。実車を間近に鑑賞することができるこうしたイベントは、いつもとても人気がありますね。イベント会場まで自走してくるわけですから、きちんと走れる状態を維持しているということ。いくら趣味とはいえ、その手間や維持費たるや大変なものでしょう。オーナーさんには本当に感謝です。
さすがにミゼットクラスの古いクルマになると、イベントでお見掛けすることもだんだん減ってきているようです。現役を引退して博物館や展示場に居場所を見つけた個体もありますね。戦後ニッポンの成長を支えてくれた働き者ミゼット、おだやかに令和のニッポンを見守ってください。


