今日では商用トラックやバスの大手メーカーである日野自動車ですが、かつては乗用車を手掛けていました。それがイタリア語で「伯爵夫人」を意味する「コンテッサ」でした。
コンテッサとは?
日野がかつて製造・販売していた唯一の小型乗用車のコンテッサ。いったいどんなクルマだったのでしょうか?
フランスのルノーが先生だった
日本の自動車産業は第2次世界大戦前から存在していましたが、敗戦によってリセットされます。戦後に再スタートを切るにあたっては、自力開発にこだわったトヨタを除いては海外メーカーから技術協力を得ることで力をつける戦略をとりました。
日野はフランスのルノーと提携し、ルノー・4CVという小型乗用車のノックダウン生産からスタートします。ノックダウン生産とは、海外メーカーが開発した製品を部品の状態で輸入し、国内で組み立てることです。そして生産技術を学びながら徐々に部品の国産化を進め、最終的には純国産化するというのがいわば「卒業」にあたります。
写真の日野・ルノーは現存するオリジナルモデルで、家族代々乗り継いできたものだそうです(撮影は2017年)。ファミリーヒストリーが詰まった唯一無二の貴重な一台です。
初代コンテッサ(コンテッサ900)の誕生
日野・ルノーの生産で得られたノウハウをもとに初めて自社開発した乗用車が「コンテッサ900」です。日野・ルノーと同じリアエンジン・リアドライブのレイアウトですが、日野・ルノーがVWビートルとよく似た2ボックススタイルなのに対して、3ボックスセダンの形をしています。
クラシカルな日野・ルノーにくらべてグッとモダンな印象になりました。
本当の伯爵夫人に脱皮
車名の「コンテッサ」はイタリア語で「伯爵夫人」。日野としては上品で優雅なクルマを目指したはずなのですが、初代コンテッサではボディサイドにエア・インテークがついていたりアメ車ふうのテールフィンがあったりと、いまひとつ垢ぬけない印象でした。さしずめ「田舎から出てきたばかりのお嬢さん」といったところでしょうか。
そんなお嬢さんが本当の伯爵夫人に脱皮した、と言えるのが2代目コンテッサ(コンテッサ1300)です。
まずは初代のややずんぐりした愛嬌のあるスタイルからスレンダーで伸びやかなイメージに大変身。
リアエンジン車特有のグリルレスなフロントマスクは初代と同じですが、2灯になったライトとその周囲をめぐるシルバーの装飾によって大きく印象が変わりました。お化粧上手になったかのようです。
初代に見られたテールフィンとサイドのエア・インテークがなくなってスッキリ、スマートになったリア。
巨匠、ミケロッティがデザイン
こんなにも大変身を遂げたコンテッサ、実はそれもそのはず。日野はイタリアの著名なカーデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティにデザインを依頼したのです。
もっともミケロッティとの協業はエア・インテークのデザインを巡ってすったもんだがあったようです。最終的には日野側の開発努力によってサイドのエア・インテークを廃し、リアのグリルからの吸気のみで十分なエンジン冷却性能を確保することで一件落着となりました。
データ(コンテッサ1300)
- 販売期間:1964年~1967年
- エンジン:直列4気筒 1,251cc
- ホイールベース:2,280mm
- 全長:4,150mm
- 全幅:1,530mm
- 全高:1,340/1,390mm
- 車重:945/940kg
管理人のつぶやき
今日では電気自動車(EV)にフロントグリルレスを見るようになりましたが、グリルはクルマの表情を作るうえで非常に重要な要素だと思っているので、コンテッサのグリルレスマスクは無表情な感じがしてあまり好きではありませんでした。
しかし、見慣れてくるとこれはこれでなかなか良いのではないかと思えるようになりました。伯爵夫人たるもの、表情はむしろ控えめであることが嗜みなのだな、と妙に納得しています。