ホンダのスーパーカブは1950年代に発売され、いまだにシリーズとして続いている超ロングセラーのバイクです。全世界での累計販売台数はなんと1億台を軽く超えるという世界最多の量販バイクでもあります。
生まれたときはただのエンジンだった
『スーパーカブ』の前身である『カブ』が生まれたのは1952年。実は生まれたときはまだバイクではなかったのです。
今日では排気量50cc以下の小型バイクを「原チャリ」と呼んでいますが、正式名称は「原動機付自転車」。つまり自転車にエンジンを後付けしたものが元祖です。
『カブ』はまさに自転車後付け用のエンジンキットとして商品化されたものでした。動力源のついた自転車といえば現代の電動アシスト付き自転車を思い浮かべますね。
『カブ』は排気量49.9ccの2ストロークエンジンをもとに自転車の後輪に取り付けられるようにしたキットでした。
後輪への取り付けというところがミソで、それまでの原チャリキットは前後輪の間に設置するようになっていたため、飛散したオイルがズボンやスカートを汚すという欠点がありました。
着眼点がいかにもホンダらしいですよね。
バイクに成長
原動機付自転車にあきたらないユーザーは、排気量125cc以上のスクーターを選んでいました。代表的なモデルは富士重工(現・SUBARU)の『ラビット』。
それを横目で見ていた専務の藤沢武夫は、カブをベースに完成車としての小型バイクの開発を本田宗一郎に持ち掛けます。しかし技術屋である本田は満足な性能のバイクは作れないと一蹴。
転機が訪れたのは1956年の欧州視察旅行。藤沢の熱心な説得にくわえ、街を行き交う欧州製スクーターを目にしたことから本田は考えを改め、帰国後に開発を陣頭指揮することになったのでした。
余談ながら、本田宗一郎と藤沢武夫の組み合わせといいソニーの盛田昭夫と井深大のコンビといい、日本躍進の象徴ともいえる二大メーカーに、卓越した技術センスと経営センスのタッグを見ることができるのは興味深いところです。
先進技術を投入
開発には大いに力が入り、数々の新技術とアイデアが投入されることになります。
エンジンは4ストローク化され高出力を得るために高回転型とし、同じ排気量の2ストロークエンジンの倍以上の馬力をひねり出しました。
出前持ちが片手で運転できるように
変速はオートマチックとまではいきませんが、「自動遠心クラッチ」という仕組みを用い、足元のペダル操作だけで変速できるようになっていました。クラッチ操作が不要で、左足元にあるシーソー式ペダルを上げ下げするのです。これは、「蕎麦屋の出前持ちが片手で運転できるようにせよ」との本田宗一郎からの指示によるものだそうです。
方向指示器の操作もスロットルグリップのある右側にスイッチを設置したことで左手での操作が不要に。これも先ほどの指示に沿ったアイデアでした。
当然の結果として出前持ちのバイクといえばカブ、が定着した感がありました。いえ、働くバイクといえばカブ、というぐらいに普及しましたネ。
管理人のつぶやき
自分はこういう形のバイクのことをカブと呼ぶのだと思ってました。
うちのじいさんが乗っていたバイクがまさにこんな形でしたが、実はそれはカブではなくスズキの『バーディ』だと知った時に大いにショックだったのを覚えています。
でもそのバーディが免許をとって初めて乗ったバイクでした。国道を走って高校まで通学したっけな。懐かしい。