ホーロー看板は、当時を偲ばせる商品名や画像にホーローならではの独特な質感も加わって、昭和レトロを感じさせてくれる代表的なアイテムのひとつと言えるでしょう。今回は横書きを右から読ませる、特に古い時代のホーロー看板をご紹介します。
右からの表記はいつ頃のもの?
そもそも日本語の表記は縦書きが基本でした。縦書きでは行が右から左へ向かって進みます。横書きもこれにならって右から左へ書くのが一般的とされました。ただしこれは戦前までの話。
左から右へ向むかって書くようになったのは戦後のことなんだそうです。
ということは、右から読むホーロー看板は戦前から戦後まもなくの頃のものということになりますね。
プンラルナヨシナ
製造元の松下電気器具製作所とは現・パナソニック株式会社の原点ですね。
会社の沿革によると、自転車用角型ランプの販売を開始したのが1927年ですので、まさにこの看板はその時代のものと思われます。終戦から7年経ってもまだ右から表記が使われていた、ということですね。
ちなみに「ナショナル」という商標を使った初めての商品がこのランプのようです。
スピルカ
皆さんご存知、あの乳酸菌飲料ですね。カルピスの発売は1919年ですから大正時代のことですからずいぶんと歴史のある飲み物です。
この看板の絵柄は、第一次世界大戦で生活に苦しんでいた欧州の美術家を救済するため、カルピス創業者の三島海雲がポスターの図案を募集したなかから採用されたもの。ドイツの画家オスカー・ヂュンケルの作品だそうです。
キャッチコピーの「初恋の味」も1922年(大正11年)の新聞広告が初出だそうですから、ハイカラな飲み物というイメージだったのでしょうね。大正デモクラシーの時代を映しているかのよう。
トッケルカ
今日ではイトウ製菓株式会社が商標を持っているビスケットの『カルケット』。
発売されたのは1920年(大正9年)で、発売元は中央製菓という会社でした。
初めての国産ビスケットは1875年(明治8年)に銀座の松養軒が発売。
1877年の内国勧業博覧会ではみごと最高賞の栄誉を受けましたが、博覧会の主催者がつけた和名が「乾蒸餅」というなんとも味気ないもので、出品者である米津風月堂の米津常次郎がえらく憤慨したというエピソードが残っています。
こばた
昭和時代には大人の嗜みであったタバコは、もはや世間の邪魔者に。すっかり肩身が狭くなってしまいましたが、かつてはどんな町にもタバコ屋の1軒や2軒はあったもの。
この看板(ただし左から表記のもの)も日常風景のなかにありました。シンプルそのもののデザインですが、視認性は抜群。屋外広告のお手本のような看板です。
ちなみに、たばこ屋の看板が出現したのは江戸中期頃のこと。1904年(明治37年)に煙草専売法が施行されるまでには、様々な「民間の」たばこ看板がつくられていました。