仁丹 – もとは携帯万能薬だった昭和オヤジの嗜好品

小学校低学年の頃だったと思いますが、クルマ酔いしてしまった時に父親から「これ噛んでみろ」と言われて差し出されたのが仁丹でした。

仁丹とは

ゴマほどの大きさの銀色をした粒。キレイなんだけど噛んでみると苦いやらクスリっぽいやら…耐えきれずにペッと吐き出してしまいました。

そのおかげでクルマ酔いから醒めたかどうかは記憶にありません。

明治時代に生まれた丸薬

仁丹の誕生は明治38年。最初の仁丹は銀色ではなく、「赤大粒仁丹」だったのだそうです。

森下仁丹の創業者となる森下博氏の「万病に効果があり飲みやすく、携帯・保存に便利な薬を作りたい」との想いが実現したものでした。

この着想は、氏が出征した台湾で得たものだとか。つまり、ルーツは台湾だったわけです。

その後森下氏は薬問屋が軒を連ねる大阪・道修町で和漢のさまざまな生薬を研究し、さらに薬づくりの本場・富山に赴き薬学の権威からアドバイスをもらいます。そして3年の年月を経てついに処方を完成させました。

成分は甘草(かんぞう)、阿仙薬(あせんやく)、桂皮(けいひ)、和桂皮(わけいひ)、茴香(ういきょう)、生姜(しょうきょう)、丁子(ちょうじ)など十数種類。

あわせて携帯・保存のために表面をコーティングする技法も開発。こうして仁丹が誕生しました。

赤から銀へ

コーティングには「ベンガラ」という素材を使っていました。ベンガラとは酸化鉄を主成分とする顔料、つまり「サビ」ですね。だから赤系の色だったのです。

今日のように銀色になったのは昭和4年のこと。文字通り銀箔がコーティング剤として使われました。銀を摂取して大丈夫なのか気になりますが、WHOからお墨付きが出ているとのこと。ちなみに銀には殺菌作用があることから、保存性向上に効果が期待されました。

しかし、土中のサビから銀箔へ変更というのは大胆ですね。見た目は明らかに高級感が増しますが、コスト増にもなったはず。銀粒誕生の秘密が気になるところです。

大人の嗜み

万病に効く薬として誕生した仁丹でしたが、病気を治療する効果があったのかは不明です。もっぱら口中清涼剤として、大人の男がタバコや酒のあとの口直しに嗜んでいたのが実態ではないかと推察します。今ならフリスクやクロレッツでしょうか。

フルーツ味のバリエーション

16種もの生薬の塊ですから子どもにとって不味かったのはあたり前。

そこでマーケットを広げたい森下仁丹は1969年に『梅仁丹』を発売します。甘酸っぱい梅の味で、これなら子どもでも大丈夫。女性にもウケたろうと思います。

さらに1978年には『レモン仁丹』も登場。

いずれも販売終了しましたが、2010年代に一時的に復活しています。

管理人のつぶやき

銀色の仁丹は大人になってからも好きになれませんでした。あの独特の香味と苦みはどうしてもダメ。

でも梅仁丹は結構好きで、時々買っていました。ただお菓子としてはちょっと高価でしたね。

似たような粒菓が駄菓子屋に売っていました。そう、オリオンの『梅ミンツ』です。ところが味はなんとも駄菓子そのもので…。

本物の梅エキスとハーブを使った梅仁丹とは似て非なるものでした。そりゃそうですよね。

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