特急とき/181系 – 上野と新潟を結んだ上越線初の特急列車

特急ときは1962年(昭和37年)に登場し1982年に上越新幹線の各駅停車「とき」として生まれ変わるまで上野と新潟を結ぶ特急列車として活躍した、旧国鉄の在来線電車特急です。

特急とき/181系とは

特急とき
特急とき

国鉄初の特急型電車「こだま」から派生

「こだま」と言えば今日では東海道新幹線の各駅停車として知られますが、もともとは旧国鉄が1958年(昭和33年)に東海道本線に導入した初の特急型電車である151系の愛称でした。

東海道本線は1956年(昭和31年)に全線電化され、輸送量増大と高速化が目指されました。それまで8時間かかっていた東京~大阪を、日帰り可能な6時間半で結ぶという構想のもと開発されたのが151系だったのです。

この新型特急電車の開発には実は小田急のロマンスカーも一枚かんでいます。国鉄は小田急の3000型車両を借り受け東海道本線で高速運行試験を実施、得られたデータが開発に活かされました。

1962年に全線電化が実現した上越線にも電車特急を導入する運びとなりましたが、導入にあたっては、群馬県の水上と新潟県の湯沢にまたがる三国峠を越える山岳線区への対応と、冬場の豪雪に耐えうる改造が施され、161系を経て181系へと派生しました。

型式表示
型式表記はなぞなぞのよう

新潟の県鳥「とき」が愛称に

新型特急の愛称は新潟の県鳥であり国際保護鳥でもある「とき」からきています。漢字では「朱鷺」と書き、この文字は一時期、特急のネームプレートにも併記されていました。

ときのネームプレート
漢字の「朱鷺」を併記

ネームプレートの上にあるシンボルマークは「こだま」ですでに採用されていましたが、愛称とあわせて公募で選ばれたものです。「スピード感がありスマートでざん新」なデザインを追求した、ということです。

開かない窓

それまでの車両には冷房のないものがほとどで、夏場の空調はあまり効かない扇風機か窓を開けるしかなかったのですが、ときには空調が完備されました。そのため窓は固定式になり、開けることができません。

窓ガラスは空気層をはさんだ二重構造になっており、断熱性に優れるほか、騒音の侵入も大幅に低減しました。

特急ときの窓
固定ガラスの窓

座席は二人掛け

座席はリクライニング機構をもった二人掛け。ボックスの4人掛けのように知らない人と向い合せになることがありません。

2人掛けの座席
2人掛けの座席
車内販売
冷凍みかんがよかった
JNRロゴ
JRではなくJNRでした
ときの乗車口
乗車口の脇には誇らしい特急プレートが

管理人のつぶやき

小学生時代を新潟県の小出町という片田舎で過ごした管理人にとって最大の楽しみは、夏休みに弟と一緒に東京に住む従兄の家に泊まりに行くことでした。

上越線の小出駅で上野へ向かう電車に乗り込んだ瞬間からもうワクワクが止まらなかったです。その時にいつも乗っていた電車は特急「とき」ではなく急行「佐渡」でした。急行のほうが値段が安かったからですね。上野までの時間は1時間ぐらい違ったように思います。

ある時、どうしたわけか特急「とき」に乗る機会に恵まれましたが、佐渡とのあまりの違いに驚きました。一番の違いは座席。佐渡では4人掛けのボックスシートなので知らない人と向い合せになってしまって気まずいのですが、ときではそんなことはありません。

冷房が効いていて快適だし乗り心地もなんかいい。しかも速い!佐渡には悪いけど全然違うな、とき。

いつか急行じゃなくて特急に乗れる金持ちになりたいものだ、なんて思ったかどうか今では覚えていませんが。

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