リンダ・ロンシュタット – カントリーからジャズまで歌いつくしたアメリカの恋人

リンダ・ロンシュタットは1970年代から80年代にかけて大活躍したアメリカの女性シンガーです。その音楽性はウエスト・コーストのポップ&ロックが良く知られるところですが、起点となったカントリーからスタンダード・ジャズまで幅広くカバー。まさに「アメリカの恋人」と呼ぶにふさわしいアーティストです。

リンダ・ロンシュタット/Linda Ronstadtとは

リンダ・ロンシュタット「ミス・アメリカ」
1978年発表の『ミス・アメリカ』

メキシコとドイツに源流をもつ

リンダ・ロンシュタットはアメリカ中西部のアリゾナ出身。祖父はドイツ人とメキシコ人のハーフ、母もドイツ人の血を引くという家系に生まれ、歌手でもあった父の影響で幼いころから兄弟ともども音楽に親しんで育ちます。

後年ソロデビューしてからのアルバムにメキシコ民謡を彷彿とさせるスペイン語の楽曲が含まれているのは、こうした出自や幼少期の音楽体験が投影していると思われます。

スペイン語の美しいバラード『Lo Siento Mi Vida』

ちなみに名前の「Linda」はスペイン語で「可愛い、綺麗」という意味です。

ウエスト・コーストの歌姫

フォークシンガーとして才能を見出されたリンダは、1965年、フォークシンガーのボブ・キンメルの誘いで地元アリゾナの大学を中退し、ロスアンゼルスに居を移します。

キンメルが結成したフォーク・ロックバンド「ストーン・ポニーズ」のボーカルとしてプロデビューを果たしまが、バンドとしては鳴かず飛ばず。しかしリンダはその歌唱力と存在感が次第に注目を集め、1969年にソロデビューすることになります。

ソロデビュー後も初期のアルバムはカントリー・フォークが中心でしたが、ウエスト・コーストに集まったミュージシャン達との交流を通して新しいムーブメントであるロック色を濃くしていきます。

3枚目のアルバム『Linda Ronstadt』でバックバンドを務めたメンバーはのちに『イーグルス』を結成することになるドン・ヘンリー、グレン・フライ、ランディ・マイズナーらだった、というエピソードは、リンダがウエスト・コーストの音楽シーンの中心にいたことを表しているといえるでしょう。

大ヒットを連発

1974年リリースの5作目『Heart Like A Wheel』からのシングルカット『You’re No Good(悪いあなた)』で初めて全米1位を獲得すると一気にブレーク。その後のアルバムはすべてチャート上位をにぎわす大ヒットとなります。

全米1位を獲得した『You’re no good(悪いあなた)』
6枚目のアルバム『哀しみプリズナー』より
8枚目のアルバム『夢はひとつだけ』より

新境地を開拓

ロックシンガーとしてゆるぎない地位を築いた70年代を駆け抜けると、80年代には新たな境地へと果敢に踏み出していきます。

1983年リリースの『What’s New』を皮切りにジャズのスタンダードに挑戦。続く『Lush Life』『For Sentimental Reasons』とあわせて800万枚以上のセールスを記録。新たにジャズファンまでをも虜にしていったのでした。

what's new
スタンダード・ジャズに挑戦した1作目『What’s New』

管理人のつぶやき

リンダ・ロンシュタット。ウエスト・コースト時代には何人ものミュージシャンと浮名を流した恋多き女性という評判もあったようですが、さもありなん。

決して美人タイプというわけではありませんが、その黒々とした瞳にこもった情熱と、それがそのまま歌声に乗って脳髄に突き刺さる。そんなところがオトコ心を捉えて離さなかったのでしょう。

しかし本当に歌が上手いと思います。声量、抑揚、艶、表現力。マライア・キャリーのように7オクターブの音域はなくとも、それはさして重要なことではない、というのがよく分かります。

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