それまでの常識を破ってどんなものにも良く書ける、すぐ乾く、消えない魔法の筆記具が生まれたのは1953年のこと。今をさかのぼること70年を超えます。
魔法の筆記具が誕生
「マジックインキ」は、それまでの筆記具の常識を打ち破った画期的なペンでした。
紙はもちろんのこと、ガラスやプラスチックさらに布、皮革、木材、金属、陶器など、 ありとあらゆるものによく書けました。
また、インキの補充なしに連続筆記が出来るうえにすぐに乾き、水にぬれても手でこすっても消えないという、 まさに「魔法の筆記具」でした。
名無しのパッケージ
開発・発売したのは寺西化学工業株式会社です。面白いことに、マジックインキの商標権は内田洋行が所有しています。
製造・販売元と登録商標保持者が異なることから、製品本体とパッケージには企業名の記載がありません。
そのようになった理由は開発のきっかけにあります。
戦後まだ間もない1951年、日本の復興に産業界として貢献するため、先進国アメリカに学ぼうということで「アメリカ産業視察団」が結成され渡米しました。
その視察団の中に当時内田洋行の社長だった内田憲民氏がいました。
内田社長が「これは」と感じて買い求めた様々な商品の中に「スピードライ社」が発売しているフェルト製のペン先を使った筆記具がありました。
画期的なフェルトペン
フェルトとは、ヒツジなどの動物の毛を圧縮してつくった繊維のことです。
いわゆる「不織布」の一種ですね。
蜜に繊維が絡み合った構造から、毛細管現象により効果的に液体を吸い上げることができます。
筆や万年筆など、それまでのペンの構造ではインキはペンの中から出るものではなく、外部のインキ壺などからペン先に含ませるという使い方になりますが、毛細管現象をうまく利用すればペンの内部からインキをペン先に供給できるところが画期的でした。
そんなフェルトペンに目を付けたのが寺西化学工業の初代社長だった寺西長一氏。
視察団が帰国後に開催された見本市でこのペンに大いに興味を惹かれ、自社でも研究開発したいと内田氏にもちかけたのです。
産みの苦しみ
実は内田社長がアメリカから持ち帰ったサンプルは大きく破損しており、内部もペン先もすっかり干からびている状態でした。
そのため、構造がよく分からないばかりか、どのようなインクなのかも「速乾性で水に溶けない」というわずかなヒントから手探りで解明するしかなかったのです。
どうやら油性の溶剤に染料を溶かしたもの、という想像はできましたが、まだ物資不足の戦後のこと。適当な溶剤と染料を見出すまでには多大な試行錯誤が待っていました。
インキのほかにも、ペン先の問題もありました。毛細管現象を妨げず、かつ、柔らかすぎもせず硬すぎもしない適度な硬度を持たせることが求められました。
世に出してはみたものの
幾多の困難を一つひとつ乗り越え、ようやく発売に漕ぎつけたのが1953年。
どんなものにも良く書け、水にぬれても大丈夫。さらにペン壺いらず。
この画期なペンには、「魔法のインキ」との思いを込めて「マジックインキ」と名付けられました。
しかし、期待とは裏腹になかなかその良さが理解してもらえないばかりか、キャップを閉め忘れてペン先が固まってしまうということからクレームが多発。販売店は及び腰になってしまいました。
ついにブレーク
転機が訪れたのは発売から4年もたった1957年。
街頭の選挙速報やテレビのニュース解説などでマジックインキが使われたことから徐々に認知が広まっていきました。裸の大将として有名だった山下清画伯も一役買ったといいます。
その後は教育の場や高度成長時代に突入した産業界でさまざまな用途に重宝され、急激に需要が拡大していったのでした。
独特のにおい
揮発性の溶剤を使っているため、鼻を突くような特有のにおいがします。
カラダに悪そうなイメージですが、シンナーのような有害成分は入っていないそうです。
ちなみに、寺西工業とナカバヤシ株式会社のコラボによる『マジック水性 5本セット』という商品が2022年8月に発売されました。水性なのであのニオイがないことと、発色が良いという特長があります。お子さまの工作やお絵かきにおススメです。