世界で初めて量産型ロータリーエンジンを搭載して颯爽と登場したコスモスポーツ。名前が表す通り、まさに宇宙へ飛び出さんばかりの自動車離れしたデザインも唯一無二。世界に誇る日本のスポーツカーです。
コスモスポーツとは
ドイツ生まれのロータリーエンジン
ピストンの往復運動を回転運動に変換することにより動力を取り出すのが一般的なエンジンで、「レシプロ型」と呼ばれます。
これに対して、蚕のまゆのようなハウジングの中でおにぎり型のローターが回転するのがロータリーエンジンの原理。レシプロエンジンのように運動方向を変換する必要がないため、構造がシンプルにできるうえ振動が少なくスムーズな回転を得ることができます。
この原理を実用化したのはドイツの自動車メーカーNSUとヴァンケル博士。共同開発により1964年に登場した「ヴァンケルスパイダー」がロータリーエンジンを世界で初めて搭載したクルマとなったのです。
しかしながら技術面で多くの問題を抱えており、トラブルが多発。事実上は失敗作に終わりました。
苦難を乗り越え量産化に成功
マツダ(当時は東洋工業)は早くからロータリーエンジンに注目しており、1961年にライセンス契約を締結しています。
しかしながら、NSUヴァンケル社が果たせなかったロータリーエンジンの量産化がそんなに簡単に実現できるはずもなく、コスモスポーツとして世に送り出すまでに6年もの歳月を費やしています。
最大の難関は、三角形のおむすび型ローターが回転する際に気密性を保つためにローター頂点に装着されたアペックスシールがハウジング内壁と高速摩擦することによって生じる「チャターマーク」と呼ばれるキズをどう回避するか、でした。
試行錯誤の末にたどり着いた解決策は、アペックスシールの形状と素材に独自の工夫を加えることでした。このあたりの深いストーリーはぜひマツダの公式サイトをご覧ください。
コスモスポーツのデビュー
1963年の第10回全日本自動車ショーにロータリーエンジン単体の出品を行い、翌年の第11回東京モーターショーでコスモスポーツ(プロトタイプ)がデビューとなりました。
当時の東洋工業社長の松田氏がそのプロトタイプに乗って登場したシーンは、たいへんな驚きと歓迎をもって繰り返し報道され話題となりました。
それから3年後、昭和42年(1967年)に市販が開始されたのです。
コスモスポーツが搭載した10A型REエンジンは491cc×2ローター。ローターハウジングまで含み総アルミニウム合金製で、そこに炭素鋼を溶射した贅沢な設計でした。
9.4の高圧縮比とツインプラグによって最高出力110ps/7000rpm、最大トルク13.3kg.m/3500rpmを発揮。最高速度は185km/h、0-400m加速は16.3秒と第一級の性能を誇りました。
ピストンの上下運動をクランクシャフトで回転運動に変えて動力とするレシプロエンジンに対し、回転運動がそのままクルマの推進力となるロータリーエンジンは、まるで電気モーターのような滑らかな回転フィールとフラットなトルク感で、従来型スポーツエンジンとは異次元と評されました。
エンジンにふさわしいスタイル
異次元感覚のエンジンを搭載したクルマにふさわしい、未来的なスタイルもコスモスポーツの大きな魅力です。
コンパクトなエンジンを活かした低くワイドなボンネットにウインドプロテクション(風防)で覆われたフロントライト。
上下にバンパーで分割したリアランプはまるで宇宙船のジェット噴射口のようです。
大きく曲折したリアウインドウは、コスモスポーツの後を受けたマツダのスポーツカー歴代RX-7に踏襲されています。
データ
- 販売期間:1967年(昭和42年)~1972年(昭和47年)
- エンジン:982cc 2ローター
- ホイールベース:2,200mm
- 全長:4,140mm
- 全幅:1,595mm
- 全高:1,165mm
- 重量:940Kg ※サイズ・重量は前期型
管理人のつぶやき
トヨタ2000GTと並んで、ニッポンが誇る世界遺産的スポーツカーといっても過言ではない名車だと思います。
かたやトヨタ2000GTはジェームズ・ボンドが活躍するスパイ映画『007は二度死ぬ』に登場(ただしボンド・カーとしてではなく)という名誉に浴しますが、こなたコスモスポーツはテレビ番組『帰ってきたウルトラマン』での中で「怪獣攻撃部隊 MAT」の隊員が乗る特殊車両『マットビハイクル』となってお茶の間のちびっ子たちの憧れの的となります。
後世に名を残すクルマにはこうしたわかりやすいエピソードも欠かせませんね。