1973年に登場した初代ランサーは、後に世界中で名をとどろかせるランサーエボリューションへと続く「ラリーの三菱」の出発点となったモデルです。
三菱 ランサー(初代/A70/A140系)とは

コルトの後継として誕生
それまで三菱の主力小型車だったコルトシリーズの流れを受け継ぐモデルとして開発され、カローラやサニーといったライバル車がひしめく激戦区に投入されました。
車名の「ランサー」は、中世ヨーロッパで槍を持って戦った騎士「Lancer(槍騎兵)」に由来しています。力強さと機動力をイメージさせる名前で、後の活躍を思えば実にぴったりなネーミングだったと感じます。
ボディは2ドアセダンと4ドアセダンを用意。スタイルは当時としては先進的な「エアロノーズライン」と呼ばれる低く長いフロントノーズが特徴でした。丸形ヘッドライトと流れるようなフェンダーラインが一体となり、同クラスのライバルとはひと味違う精悍な印象を与えています。

ファミリーカーから一転した1600GSR
発売当初のランサーは、1.2Lや1.4Lエンジンを搭載した、ごく一般的なファミリーカーでした。
ところが発売から半年ほどで、そのイメージを一変させるモデルが登場します。それが「1600GSR」です。
搭載された1.6L直列4気筒SOHCエンジンにはツインキャブレターが組み合わされ、最高出力は110PSを発生。当時としては十分にスポーティな性能でした。
さらに注目すべきは車重です。わずか825kgという軽量ボディに5速マニュアルトランスミッションを組み合わせたことで、軽快で鋭い加速を実現していました。
現在の高性能車のような電子制御はもちろんありません。しかし軽い車体と素直なハンドリングのおかげで、ドライバーがクルマを自在に操る楽しさを存分に味わえる一台だったようです。

世界を驚かせたラリーでの大活躍
初代ランサーを伝説の存在にした最大の理由は、やはりラリーでの活躍でしょう。
発売された1973年にはオーストラリアのサザンクロスラリーでいきなり優勝。その後1976年まで4連覇という快挙を達成しました。
さらに1974年には世界でも屈指の過酷さを誇る東アフリカ・サファリラリーへ初参戦します。このラリーは舗装路より悪路のほうが圧倒的に多く、暑さや豪雨、ぬかるみなど自然との戦いでも知られています。
そんな厳しい舞台で、ジョギンダ・シンがドライブするランサーが総合優勝を果たしました。しかも初挑戦での優勝ですから、そのインパクトは計り知れません。
当時は排気量も大きくパワーで勝る海外メーカーのライバルが数多く参戦していました。その中で日本の小型車が頂点に立ったことは、多くの関係者を驚かせました。
この勝利によって「ラリーの三菱」というブランドイメージが世界中に広まり、その後のモータースポーツ活動の礎となったのです。

ランエボへ受け継がれるDNA
初代ランサー1600GSRは、その後登場するランサーターボやギャランVR-4、そしてランサーエボリューションへと受け継がれるスポーツモデルの原点でもあります。
ランエボはWRCで数々のタイトルを獲得し、世界中のファンを魅了しましたが、そのルーツをたどると初代ランサーに行き着きます。
軽量ボディ、高い耐久性、優れた走破性という考え方は、この時代からすでに確立されていたのです。
クラシックカーイベントなどでラリー仕様の1600GSRを見ると、大型フォグランプやマッドガード、ロールケージなどが装着され、まさに「戦うクルマ」という迫力があります。
決して派手なスーパーカーではありませんが、競技車らしい実戦的な雰囲気が非常に魅力的です。

商用モデルにも個性があった
初代ランサーには乗用モデルだけでなく、商用バンも設定されていました。
当時の商用車は実用性一辺倒のデザインが多かったのですが、ランサーバンは乗用車と同じエアロノーズデザインを採用し、どこかスタイリッシュな雰囲気を持っていました。
リアゲートは比較的寝かされ、サイドウインドウのデザインにも工夫が凝らされていたため、商用車というよりステーションワゴンのような印象を受けます。
カタログには「実力あるバン、たのしいバン」というキャッチコピーが使われ、仕事だけでなく週末にはレジャーにも使えることを積極的にアピールしていました。
今ではSUVやクロスオーバーが人気ですが、「仕事も遊びも一台で」という発想は、この頃からすでに存在していたことがわかります。

環境性能や安全性にも先進性
ラリーでの活躍ばかりが注目されますが、初代ランサーには時代を先取りした技術も数多く採用されていました。
三菱独自のMCA(Mitsubishi Clean Air)システムによる低公害エンジンは、アメリカ環境保護庁(EPA)の1973年排出ガス規制に世界でいち早く適合しました。
また、コラプシブルステアリングやチルトハンドル、前輪ディスクブレーキ、45Lの大型燃料タンクなど、安全性や長距離ドライブの快適性にも配慮されていました。
こうした基本性能の高さがあったからこそ、世界中の過酷なラリーでも高い信頼性を発揮できたのでしょう。
データ
- 販売期間:1973年(昭和48年)~1979年(昭和54年)
- エンジン:直4 1.2、1.4、1.6L
- ホイールベース:2,340mm
- 全長:3,965mm
- 全幅:1,525mm
- 全高:1,360mm
- 重量:825kg
管理人のつぶやき
管理人が4畳半ひと間のボロいアパートで神田川的学生時代を送っていた当時、一足先に社会人になっていた高校時代の同級生が乗せてくれたクルマが2代目のランサーEXでした。
まだ免許すら持っていなかった管理人にはクルマのことはよく分からなかったのですが、マニュアルシフト付きのそのクルマはとてつもない加速力で、管理人の背中を強烈なGでシートに押し付けたのでした。ビビった管理人に向かってその友人いわく、これがターボエンジンなのだとか。
この原体験がもとになり、将来クルマを買うなら絶対ターボ車だ、と決めていたのです。
社会人になり神田川生活に終止符を打ってしばらくのち、中古とはいえ晴れて自分のクルマを手にするときが訪れました。
忘れもしない、日産オースターXtt。1.8Lツインカムターボエンジン搭載の5速MT車です。オースターを知っている人は少ないと思いますが、ブルーバードと同格のファミリーセダンでした。決して悪いクルマではありませんでしたが、ブルーバードの影にかくれた不人気車。でもへそ曲がりの管理人はプレリュードやらシルビアなんぞのデートカーには目もくれず、初心貫徹して「ターボ車」をゲットしたのでした。

かのランサーEXほどではなかったかと思いますが、3,000回転あたりからモリモリとトルクが湧き出るいわゆる「ドッカンターボ」の快感はいまだに忘れられません。
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