日本においてスペシャルティカーというジャンルを切り開いた記念碑的な日産のクーペです。まるで宝石のようにエッジの効いたデザインは「クリスプカット」と呼ばれました。
目次
日産 シルビア(初代/CSP311型)とは
スペシャルティカーの黎明期
「スペシャルティカー」とはクルマのジャンルのひとつで、スポーツカーのようなカッコいいデザインでありながら中味はガチのスポーツカーではなく、いわば普通のクルマの豪華版といった成り立ちのクルマを指します。あえて言えば「なんちゃってスポーツカー」とか「デートカー」など、ナンパなイメージの俗称のほうが実態をイメージできるかもしれません。
スペシャルティカーの元祖は1964年に発売されたアメリカ・フォードの「マスタング」とされています。マスタングは、「ファルコン」というごく普通の小型セダンにスポーティーなクーペボディを乗せたもので、これが安くてカッコイイことから大ヒット。ライバルメーカーも急いで対抗馬を投入しました。GMの「シボレー・カマロ」やクライスラーの「ダッジ・チャレンジャー」です。
シルビアの誕生
戦後の復興で急速に力を付けつつあった日本の自動車メーカーのなかで、初めにスペシャルティカーに参入したのが日産でした。その先駆けとなったのが初代・シルビア(CSP311型)です。発売が1965年ですから、マスタングに遅れることわずか1年というスピード感には驚きます。
シルビアのベースとなったのは「ダットサン・フェアレディ1500(SP310型)」。ダットサン・フェアレディの2代目だったSP310型はベースがファミリーセダンの初代ブルーバード(310型)でしたが、サスペンションまわりを強化してカーレースにも参加していたスパルタンなクルマに鍛え上げられていました。
シルビアもそのテイストを共有しており、「快適・優雅なスペシャルティカー」とは趣を異にしていました。
宝石のようなクリスプカット
シャープなエッジを効かせたデザインは「クリスプカット」と呼ばれます。デザイナーはドイツ人のアルブレヒト・フォン・ゲルツ。ただし、日産の関係者によれば基本デザインは社内でほぼ出来上がっており、ゲルツは最終段階でリファインに参画した程度ということになっています。
実際にゲルツの影響がどの程度だったのかは不明ですが、デザインの世界では「神は細部に宿る」とされていますので、ヨーロッパのデザインセンスが注入されたことによって完成を見たとしても不思議ではありません。
商業的には成功しなかった
熟練した職人の手作業でしか造れない複雑なプレスラインや継ぎ目の少ないボディ、SUツインキャブを装備したエンジンなどもあってコストが嵩んだこと、さらに優雅な印象とは異なるスポーティでワイルドな乗り味だったことも災いし、販売面では苦戦しました。
製造されたのは僅か554台に過ぎませんでしたが、それが今となっては幻のスペシャルティカーとして注目される所以にもなっているところが味わい深いですね。
バブル時代に初代のオマージュ登場
バブル真っ盛りのころ、いわゆる「デートカー」も爆発的に売れていました。一番人気の『ホンダ・プレリュード』の牙城をいかに崩すか。
対する日産は、シルビアをそれまでの「走り屋ご用達カー」から大きく路線変更し、初代をオマージュしたかのようなデザイン重視のクルマに一新しました。
テーマ曲に往年のイギリスのプログレ・ロックバンドであるプロコルハルムの名曲『青い影』をフィーチャーしたTVCFが印象的でした。キャッチフレーズは「アートフォース・シルビア」。まさにデザインの原点回帰で、クルマのイメージカラーも初代を彷彿とさせるライム・グリーンでした。果せるかな、この5代目シルビアは大ヒットを飛ばしました。
データ
- 販売期間:1965年(昭和40年)~1968年(昭和43年)
- エンジン:水冷直列4気筒 1,600cc
- ホイールベース:2,280mm
- 全長:3,985mm
- 全幅:1,510mm
- 全高:1,275mm
- 重量:980kg
管理人のぶつやき
「シルビア」という車名には反射的に艶めかしさを感じてしまうんです。
理由はわかっていて、『エマニュエル夫人』という官能的なフランス映画の主演女優「シルビア・クリステル」の名前が脳内にインストールされてしまったからです。この映画の公開は1974年なので、車名に採用されたずっと後のことなのでなんの関係もないんですがね。