日産の看板車種として、トヨタ・カローラと並んで日本の大衆車マーケットを長らくリードしたサニーの初代モデルです。サニーのために開発されたA型エンジンは実用性とタフさを兼ね備えた名機とされています。
日産 サニー(初代/B10型)とは
ブルーバードの下を担って登場
日産の小型車はダットサン110/120に始まり、後を受けて登場したブルーバードのヒットにより黎明期にあった日本のファミリーカー市場で一定の地位を築きました。そのブルーバードも2代目の410型へとモデルチェンジするにあたり、主力エンジンは1,200ccへと拡大し、ボディも少し大きくなりました。
一方で軽自動車よりも上の700cc~1,000ccクラスの市場が活況を呈してきます。軽では物足りないけれどもブルーバードやコロナには手が届かない大衆は、ライバルのトヨタ・パブリカ等に流れたのでした。
これに危機感を頂いた日産はブルーバードより一回り小さな新型車種の開発を決断。もっとも、ブルーバードとの共食いを恐れた経営陣はすんなりとゴーを出してくれなかったということです。
名前は公募によって決定
車名は日産としては初めて公募によって決められました。
車名公募の先例としてはトヨタのパブリカがありますが、こちらの応募数が約100万だったのに対して、日産ではティザー広告も使ったキャンペーンを大々的に展開した結果、何と850万通もの応募がありました。PR作戦としては大成功と言えるでしょう。
蛇足ながらのちに登場するリッターカーのマーチも公募によるものでしたね。
名機A型エンジン
初代サニーは「キビキビ走る」という評判を得ましたが、軽量ボディーもさることながらサニーのために開発されたA型エンジンに負うところが大きいです。
A型エンジンはOHV式直列4気筒の極めてオーソドックスなエンジンですが、シンプルかつ余裕を持った堅牢な設計によって太い低速トルクによる実用性とスムーズに高回転まで回るタフさを兼ね備えた素性の良いエンジンに出来上がっていました。
チューニングがし易いことからツーリングカーレースでも優れた性能を発揮し多くのファンを魅了。20年以上にもわたって生産され続けた名エンジンでした。
プラス100ccの余裕を謳うライバル
ライバルのトヨタも素っ気ないパブリカより少し上級な大衆車を開発中でしたが、サニーの登場を目にするやエンジンサイズを当初計画していた1,000ccから1,100ccに急遽変更し、サニーに対して「プラス100ccの余裕」をアピールして日産を悔しがらせました。
対する日産は車種バリエーションでテコ入れします。デビュー時の2ドアセダンに加えてより実用性に優れた4ドアセダン、そしてスポーティーな2ドアクーペを投入します。
ファストバックスタイルの2ドアクーペは実用車然としたセダンとは別物と言えるほどスタイリッシュで、かつトランクスルー機構を設けたためいざとなれば大きな荷物も積めるという実用性にも配慮したパッケージになっていました。クルマ好きの若者にとって魅力的な選択肢となったのでした。
データ
- 販売期間:1966年(昭和41年)~1970年(昭和45年)
- エンジン:OHV直列4気筒 988cc
- ホイールベース:2,280mm
- 全長:3,820mm
- 全幅:1,445mm
- 全高:1,435mm
- 重量:645Kg
管理人のつぶやき
ライバルのトヨタ・カローラが様々な車種バリエーションを展開しながら今日まで生き残っているのに対して、サニーは2004年をもって消滅してしまいました。
子どもの頃からアンチ巨人・大鵬・玉子焼き体質でしたから、カローラよりもサニー、コロナよりもブルーバード、セリカよりもシルビアだったので今日のトヨタと日産のありようを見るにつけ寂しいものがあります。
どうも日産は歴史的にゴタゴタを繰り返していますよね。「やっちゃえ日産」が「やっちまった日産」にならないようお願いしたいものです。