オロナミンCドリンク(かんばん) – コンちゃんの出世作

数あるホーロー看板のなかでも最も有名なもののひとつではないでしょうか。かつては街のいたるところで見かけたものです。いくつかのバージョンがあるのも見つける楽しみがありますね。

元気ハツラツ!

大村崑さんでまっ先に連想されるのはこのCMではないでしょうか。『美味しくってメガネがズリ落ちちゃう!』。大塚製薬の提供番組にはおなじみのCMでしたね。

オロナミンCのホーロー看板 大村崑のサイン入り
大村崑さんのサイン入りという貴重な一品

いろいろなバージョンがあった

右手にオロナミンCのボトル、帽子、メガネのずり落ち、笑顔。この基本セットは一緒ですが、微妙に異なる複数のバージョンがありました。

提供番組のイラスト入りのものでは、『黄金バット』バージョンと『巨人の星』バージョン。画像にはありませんが、ほかに『アタックNo.1』と『天才バカボン』バージョンもありました。

セリフには「元気ハツラツ!」のほかに「おいしいですよ!」バージョンが存在しています。

大村崑さんの表情もそれぞれ結構違っていて味わいがあります。

オロナミンCのホーロー看板 巨人の星バージョン
「元気ハツラツ」プラス巨人の星バージョン
オロナミンCのホーロー看板 おいしいですよ!バージョン
「おいしいですよ!」バージョン キャラなし

この黄金バットのバージョン、右手のボトルに注目してください。ラベルが正面を向いていません。ほかのバージョンではすべてきっちり正面を向いているので、スポンサーへの気遣いから改善されたものと思われます。そうするとこれは初期バージョンということになりますね。

オロナミンCのホーロー看板 黄金バットバージョン
「元気ハツラツ」+黄金バットバージョン

生まれは1965年

オロナミンCドリンクが発売されたのは1965年のこと。1965年とはどんな年だったのか少し振り返ってみましょう。

ざっくりとしたイメージとしては「行動経済成長期のど真ん中」といったあたりでしょうか。1960年に池田勇人首相がぶち上げた所得倍増計画。1961年からの10年間で国民総生産を倍増させるという飛ぶ鳥を落とさんばかりの威勢の良い経済政策の、まさに折り返し地点でした。

前半戦では首都高速道路、阪神高速道路、名神高速道路など道路網の整備が進み、鉄道でも東海道新幹線の開業や東京都で地下鉄が開業するなどインフラの近代化が一気に進みました。

そして迎えた1964年には東京オリンピック開催を成功させ、戦後の焼け野原から「東洋の奇跡」と称させる復興を果たしました。その反面、開発に伴う環境破壊が進み、公害病やごみ問題など社会にマイナスの影響を及ぼす事象が発生したことも思い起こされます。

1965年は、そんな活況が一服した年でした。「証券不況」「構造不況」などと呼ばれる景気の落ち込みに見舞われますが、政府は戦後初めての赤字国債を発行するなど積極財政を発動し、経済成長の再起動に成功。1970年開催の大阪万博にむけて「いざなぎ景気」と呼ばれることになる好況を謳歌したのでした。

では1965年の主なイベントを拾ってみましょう。

  • 1月 日本航空がパッケージツアー「ジャルパック」を発売
  • 2月 大塚製薬が「オロナミンCドリンク」を発売
  • 3月 トヨタ自動車がスポーツカー「S800」を発売、日産自動車が「シルビア」を発売
  • 6月 日本サッカーリーグが開幕
  • 7月 名神高速道路が開通
  • 10月 朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞
  • 11月 プロ野球のドラフト会議が初開催

管理人のつぶやき

私は1963年生まれなので、オロナミンCの2年先輩ということになりますね。

オロナミンCのTVCMで一番思い出に残っているのは『巨人の星』放映時に流れていたやつですね。

家族全員ひとりずつ自分好みのオロナミンCカクテルを作るというもの。うろ覚えですが、ママが卵、お姉さんはミルクでオロナミンセーキ、パパはウィスキーだったかジンだったか。そしてボクはストレート、でコンちゃんから「やるね~」なんて褒められていたような。

初めてオロナミンCを飲んだ時はクスリっぽくて全然美味しいとは思わなかったですね。今では好きになりましたけどね。

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